葛飾区美術会は、葛飾区長を名誉会長に葛飾にゆかりのある美術家で構成されています。
個々の会員は各種美術団体に属している方が殆どです。
それぞれの立場で活躍している作家さんが、横断的に集まり美術会を結成し活動している事例は全国的にも稀です。
異質なもの同士が切磋琢磨できる素晴らしいステージです。


葛飾区美術会の主な活動の一つ「葛飾の美術家展」は、
かつしかシンフォニーヒルズ2Fギャラリーで毎年開催します。
葛飾の美術家展は、区の事業として認められた展覧会です。

〒124-0012 東京都葛飾区
  立石6丁目33−1
  TEL 03-5670-2222

「葛飾の美術家展」 主催:葛飾区美術会 共催:葛飾区文化施設指定管理者 後援:葛飾区・葛飾区教育委員会

<葛飾区美術会の歩み>

葛飾区美術会は1991年結成され30年が経過しました。
結成から今日に至るまでは紆余曲折はありましたが、各方面の熱意あるご尽力による成果として、こうして会の活動が継続しています。
葛飾区美術会を継続発展させることが現会員の責務と認識し行動することが、先達へ報いることになるものと考えます。
時代に即し地域に根差した美術団体に成長させていくことを目指します。

葛飾は、第1回国勢調査が行われた大正9年の人口は2,900に満たない農村でした。
関東大震災以降、また終戦後に人口が急増し産業や文化も発展してまいりました。

昭和に入るとなぜか美術の才能が相次いでこの地へ流入してきたのです。
戦後、1951年(昭和26年)水彩画家 小堀進、ガラス工芸 岩田藤七、彫刻家 晝間弘ら後に芸術院会員になる作家を交えた画家、工芸家、彫刻家58名みより葛飾美術会が結成されました。
同年に葛飾区書道連盟も発足致しています。
葛飾美術会は5回展を開催した直後に画家に一部が離脱し葛飾自由画壇が旗揚げされました。
1957年開催の葛飾区総合芸術展は葛飾美術会と葛飾自由画壇の美術2団体が出品するスタイルとなりました。
作家の中央志向が強まっただけでなく幾つかの要因が絡まったと思われますが両団体共に15~17年ほどで衰微の時期を迎え区民の目から消えてしまいました。
そのような状況の中、金沢美大を卒業した青年たちが1971年東新小岩に共同アトリエを構え葛美会を結成して制作に励んでいました。
彼らの活動に理解を示した葛飾文化の会の発案で葛飾の美術家を探し出し、1986年 「第1回わたしの葛飾美術展」の開催に漕ぎつけたのです。会場は区役所前の大東京火災保険のホールで、来場された多くの鑑賞者を魅了させました。永く葛飾の美術界を覆っていた薄雲が払われた感じで大きな反響をよびました。会場が定まらない中で、わたしの葛飾美術展が第5回展を迎え、文化の殿堂かつしかシンフォニーヒルズの会館が間近になった時、文化の会に頼るのではなく作家が主体的に展覧会を開き活動の幅も拡げようと、1991年に葛飾区美術会が結成されるに至り、新聞で大きき報じられました。

かつしかシンフォニーヒルズが落成し、そのこけら落しとして1992年5月 記念すべき「第1回葛飾の美術家展」が葛飾文化振興財団共催 葛飾区と葛飾区教育委員会の後援により開催する運びになったのです。



事務局:〒125-0033 葛飾区東水元2-12-16(小野寺方)


<役員一覧>

 役職名  氏 名  連絡先  ジャンル
 名誉会長  青木 克德     葛飾区長
 顧 問  土井 豊    洋画
 会 長  布目 勲    日本画
 副会長  宮澤 賢一    洋画
   土屋 政夫    洋画
 会 計  神取 承子    水墨画
   村越 郁夫    工芸
 事務局長  丹羽 良勝    洋画
 事務局次長  小野寺 マヤノ    剪画
 事務局員  会場 公一    洋画
   田上 雅康    洋画
   青木 勉武  洋画
   日野 晴美    剪画
 小野田 信子    洋画
 小野寺 正光    洋画
 会計監査  小松 恵子    洋画
   中村 瑞子    洋画

<リンク集>


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